uporeke's diary

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「この世界の片隅に」にはありのままの戦争の日常があった

わたしの父は昭和一桁の生まれで、海軍予備員だったと自称していました。本当かどうかは分かりません。ただ、わたしが育った時期というのは「戦争を知らない子どもたち」が親になった世代で、そろそろ太平洋戦争の肌感覚がなくなってきたのだと思います。

小学校高学年になって図書館のおもしろさに気づいたわたしはたくさんの本を手に取るようになりましたが、当時はまだ残酷さが朧気な快感としか思えないほどの幼さでしたので、本来手に取るべき児童文学をうっちゃって太平洋戦争や三国志などに目覚めつつありました。そこで出会ってしまったのが、ほるぷ平和漫画シリーズです。わたしだけでなく当時の同級生の間では「『沖縄決戦』読んだ?」というように、劇画で描かれるリアルな死体描写を読めるかどうか、一種肝試しのようなところがあったと思います。

 そういう漫画を読み続けてあるとき突然太平洋戦争関連の書籍や漫画を読むことができなくなりました。残酷さを求める欲求は依然として続いていたのですが、それはスティーブン・キングラブクラフトのようなフィクションとして消化されていきます。過去の悲惨さに直面できるほどの心根がなかったのかもしれません。

ラヴクラフト全集 (4) (創元推理文庫 (523‐4))

ラヴクラフト全集 (4) (創元推理文庫 (523‐4))

 

 

興行成績や主演の方の境遇が取りざたされる「この世界の片隅に」ですが、作中のふつうの生活が戦争によって一瞬で破壊される描写、死が当然のように目前にある状況を克明にかつデフォルメをいれつつ描いたところがすごかった。日本の木造家屋を焼き尽くすために作られた焼夷弾という存在を知っていても、それがどのように飛んできてどのように家屋を燃やすのかはこの映画で初めて知りました。見ていると次第に映画に描かれていないことにまで想いが派生してしまうのです。焼夷弾を作ったアメリカ人はどのように家屋を燃やすのか理解していたのだろうか、家屋が燃えた後の人々の哀しみや怒りを想像しながら作ったのだろうか。

焼夷弾 (1944年) (科学の泉〈16〉)

焼夷弾 (1944年) (科学の泉〈16〉)

 

 人間が繁殖して他者を侵害していくことの傲慢さというのも大きく扱われていたように思います。それは太平洋戦争という国と国との争いから、主人公が呉に嫁入りしてコミュニティの一部となって浸蝕されていくマクロな視点まで、社会というのはそういうふうに成り立っていたのでしょう。そこから2017年まで短いようで長い年月の間に、人々は学び続けて、でも時々大切なことを忘れてしまったりする。本作で描かれるありのままの戦争の日常は楽しいようでいて、でも本当はこうであってはならないことばかりで、個人の可能性が戦争で阻害されることはあってはならないことだと改めて感じました。

原作を読むのはもうちょっとこのつらさが癒えてからにしようと思います……。 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

 

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 

 

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)