uporeke's diary

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カティンの森

(写真はポーランド版の広告らしい)

カティンは重鉄を引き起こすときの音だ。日本人ならそう言いたくなるほどたくさんの銃声が聞こえる痛ましい映画。

とはいえ、戦争そのもののシーンはほとんどなく、第二次世界大戦ポーランドで将校たちの多くがソ連軍に連れ去られてしまうシーンから物語は始まる。ちょっと鈴木京香似のヒロインアンナと夫の将校アンジェイ、娘のニカ3人は出立前にほんのわずかだけ言葉を交わすが、すぐに夫はソ連軍の列車に乗せられて収容所へ監禁される。友人の将校らと共に励まし合い、特に初老にさしかかった品のある顔立ちの大将と共にポーランド将校全員で静かに歌う姿は忘れられない。おそらく彼らはこの時点である程度の諦めを感じていたに違いない。歌は諦観の虚無へ流れ出そうとする将校たちを希望の岸辺につなぎ止めた。またアンジェイの友人イェジが実にいいやつなのだが、この良心が後々彼自身を苦しめることになるのだから、人はかくも残酷な運命に呑み込まれるものか、と息を詰めて見入ってしまう。

一方ポーランド国内では、東からソ連軍、西からドイツ軍が侵攻しており、知識人たちは一斉に収容所送りとなる。残るのは女子供ばかり。アンナは身よりを頼ってなんとか生き延びるが、一方で戦争が終わっても夫が帰ってこず、戦死者リストにも載らないため希望を捨てずに写真店を手伝いながら待ち続ける。アンナ以外にも残された女たちは大勢おり、ドイツによる虐殺であったと署名しない者、共産党政権を受け入れてカティンの森の虐殺はドイツ人が行ったことだと主張する者、そして「ソ連軍に殺された」という兄の墓碑を建てようとする者。

カティンの森についてはWikipedia以上のことを知らないが、降伏した軍人や民間人を1万人以上殺害するという意志決定のおそろしさが身にしみた。そして、隠蔽されて1989年のポーランド共産党政権が終わるまで公式に語られることがなかったというのもまたおそろしい。確かに起こったはずの事件について誰も語ろうとはせず、語っても「そんなことはなかった」と否定されてしまう。これは国を問わず、現在でも形を変えて起こりうる問題。下火になってしまっているが、北京オリンピックチベットウイグルの人たちが命がけで行ったデモンストレーションを忘れてはいけないし、なかったことにしてはいけない。単に過去を告発する映画ではなく、現在のわたしたち一人一人に同じ状況でどうふるまうべきかを問う映画になっている。