uporeke's diary

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松井今朝子『吉原手引草』(講談社)

吉原手引草

吉原手引草

吉原でも稀に見る才色兼備のお職葛城がとある大事件を起こした。その詳細を関係者に聞き取っていきながら全貌をあらわにする、二人称で書かれた吉原案内書。

落語と杉浦日向子で一通り吉原がどんなところか齧っているわたしでも、あまりにも丁寧な説明を登場人物が語りに語るところは、少々辟易した。吉原を知らない聞き手という設定にしたって、まるで歴史の授業のように一から十まで丁寧に説明してくれる登場人物たちには、不自然さを感じるしかない。まして江戸のようにツーカーの息(粋)を重視する社会において、ここまで人々が詳細に語りつぐというのは野暮ではないか。

もちろん平成の世に暮らすわたしたちにとって、江戸はすでにノスタルジアを通り越した大過去になる。当時のベストセラーである戯作ですら、読み解くには単に語学だけでなく、当時の風俗までも意識的に勉強しなければ理解には及ばない。岩波文庫で出ている江戸時代の読み物には多大な注釈が付き、おいそれと手を伸ばせるものではない。

そう考えると人物たちの会話の半分が江戸知識のおさらいなのは仕方ないのかもしれない。今のわたしたちが本書を手軽に楽しむにはそれだけの情報を注釈以外の形で自然に盛り込まねばならないのだ。

さて、話の方は葛城という神秘的な花魁にまつわる人々の駆け引きを描いているわけだが、花魁というただの売春婦ではない存在について考える機会となり、そのやり取りを楽しんでいた江戸の人々の粋をおもしろいと思った。客は女郎屋に金を払えば「やれる」わけではない。初日は面通しだけで帰り、直後に裏を返し、イベントには大枚を払って盛大に花魁を飾り立ててやる。そこまでしても人気のある花魁だと平気で袖にされてしまうが、それでも「ふられて帰る果報者」なんて笑って許してしまう、江戸の恋の軽やかなやりとりは、おおらかさと細やかさが混在している。実際の恋と同じように時間をかけて馴染んでいく過程を楽しむものなのです。儀式的な要素をふんだんに持った遊びとして、ままごとの延長みたいな趣があったのかも。時間的にも精神的にも余裕のあった江戸の心持ちというのは、忙しさばかりが先に立つ平成のわたしたちにこそ必要であることだなあ、と最後には気持ちよく本を閉じることができました。

でも読書会は江戸講習会で終わりそうな予感がします。はたしていかがなることか、開催は9/15です。詳細はmixiにて。