uporeke's diary

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ヴィルヘルム・ハンマースホイ展

uporeke2008-11-08

公式ページ
コミュニティサイト:ハンマースホイの鍵穴

わたしの前にチケットを買おうとしたカップルが「フェルメールとまちがえたー」と帰っていった。後ろで見ていたわたしはそういう偶然性を放棄した二人のめぐりあわせについてちょっと考えた。ハンマースホイという日本で初めて公開される作品を目にしなかったことは彼らにとってどんな影響があるのだろう。この美術展を見ようとせず上野に行く機会のない人たちとちがって、彼らはまさに一歩前まで来たにもかかわらず立ち去った。出会うはずのものに出会わなかった偶然性について考えながら、久しぶりに国立西洋美術館のドアをくぐった。

入ってすぐは初期、人物画が多い。よくイギリスは霧が深く色彩が乏しいというようなことを言われるが、デンマークもさほど変わらないのかもしれないと思わされるような色の少なさ。画面全体は灰色で覆われ、人物の着ている服もモノトーンばかり。しかし、決して冷たく無機的な印象を受けないのは輪郭の取り方にあるのだと思う。ぼんやりと写真のピントがずれたような線が不思議な生命感を生み出している。ハンマースホイが活動していた1800年代後半といえば、絵画では印象派の活躍が目立ちやがて具象絵画の解体が行われた頃であり、陰影よりも色彩の豊かさや造形の新しいつかまえ方が優先された絵が多い。そんな時期にこれほど色気のない絵画を描き続けたことがまず一つの驚きでありました。

人物を排して建築物を描いた作品に特に名品が多く、クレスチャンスボー宮殿を描いた連作のうち、晩秋のものは特にすばらしかった。宮殿と名がつきながら、まったく人気がなく今にも雪が舞い落ちてきそうな灰色の空。そこにくすんだ緑色の楕円形の屋根が描かれることで澄明な空気が醸され、この絵の前で立ち止まる人を身の引き締まる寒いデンマークに誘う。

また、「リネゴーオンの大ホール」と題された一間を描いた作品は、人のいない屋敷ならではの寂寥が灰色よりは白に近い色で描かれている。そして扉。ハンマースホイが敢えて開けている扉にぐっと視点が集中する。大ホールでなんらかの催しがあったのかもしれないが、それが終わり人々がさざめきながら出て行ってホールだけが無人で取り残される。人々が出て行ってしんと静まりかえった時点ではないかと思うのです。決してこれから何かが始まるような高揚感ではない。

しかしこの画家の本領はなんといっても自らの住んだ「ストランゲーゼ30番地」と題された室内を描いた連作にある。本来ならこまごまとした日常雑貨があふれる家を、椅子とピアノとストーブ、それに妻の後ろ姿だけを切り取って静謐な空間を作り上げた作品群は、「北欧のフェルメール」に値する。同じ室内で妻の位置が微妙に異なるだけなのだが、なぜかピアノの足が少なくなっていたり椅子の影がおかしな方向を向いていたりする。それを見比べられるように配置されているのもおもしろい。あまりこれらの絵から具体的な物語を引き出したくはない。白い扉、黒いストーブ、木製の家具やピアノがある家で画家とその妻が暮らしていてただ一場面を切り取っていた、その時間の凝結から生み出される調和を身体に染みこませて外に出た。この絵は真夏に見るものではない、手袋やコートが必要になった今こそ見るべき。