G・カブレラ・インファンテ『平和のときも戦いのときも』(国書刊行会)
平和のときも戦いのときも (1977年) (ラテンアメリカ文学叢書〈3〉)
- 作者: G.カブレラ=インファンテ,吉田秀太郎
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1977/08
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目次
- まえがき
- I
- 一時預け
- II
- 約束の三時
- III
- 間違いのバラード
- IV
- 引き波
- V
- ホセフィーナ、お客さんだよ
- VI
- 日除けにかかった雀の巣
- VII
- 海よ、憎き海よ
- VIII
- コップの中の蠅
- IX
- グラン・エクボにて
- X
- 文法の勉強
- XI
- ジャズ
- XII
- 四月は最も残酷な月
- XIII
- 牡蠣
- XIV
- わが幼年時代の終わりし時
- XV
- カブレラ=インファンテと今日のキューバ文学(吉田秀太郎)
キューバで世界的に有名な作家を3人あげるとしたら、アレッホ・カルペンティエール、レイナルド・アレナスと、そしてこのカブレラ・インファンテだろう。カルペンティエールがクラシック音楽に造詣が深くヨーロッパの文化に強い影響を受けていたのに比べて、カブレラ・インファンテはアメリカの影響を強く受けて英語も達者だった。そのため、スペイン文学者ではない若島正が『紫煙カムバック』ならぬ『煙にまかれて』を訳した経緯が『乱視読者の英米短篇講義』に書かれている。あとがきによると本書はキューバ革命直前の1952〜1958年頃、軍事政権として横暴を尽くしたバティスタ政権下で書かれたものだという。そのためか、皮肉な人生を描いた短篇と、合間に挟まれるローマ数字だけのタイトルがつけられた軍事政権に残酷に殺される人々の短い掌編とが交互に繰り返される。
タイトルがつけられた短篇は、バリエーション豊かで作者のあふれる才能を感じるものばかり。隣の老夫婦の家に雀の巣ができたので下手にブラインドを下ろさない方がいい、と忠告しに言った男はなぜか若い女性に出会い、家にあがりこんでしまう「日除けにかかった雀の巣」は村上春樹が好きそうな感じの小粋さとはかなさがある。
一方で貧しさから生まれる哀しさを扱った物語も多く、社会主義になる前のキューバ国民の苦しさが表れているように思う。冒頭の「一時預け」は幼い子供が言いたいことをまとめきれずにしゃべりつづけるように、全く改行なし、句点なしで、訳はひらがなの多いものになっている。語られるのは少女の姉が貧しさのあまり親からもうながされて近くのドイツ人に買われていく数時間のこと。有史以来こういう話は至る所にあっただろう。しかし、さらに子供の視点で何かしら良くないことが行われている雰囲気だけはかぎつけても、何が起こっているか分からない無邪気さがかえってことの痛ましさを増長させている。
ローマ数字だけのタイトルは1から15まである。突然入ってきた男たちに銃で撃たれて路肩に捨てられる者、面会に来た母にどんな拷問を受けているか口走る者、バスを待っているだけで職務質問を受け銃で撃たれる者、みんな死んでいる。ノンフィクションだとは言わないが同等の虐殺が行われていたならば、キューバ革命を欲した人々の必死さはいかばかりか、と胸が詰まる。タイトルのついた短篇の影に暴政に命を落とした人々がいるかと思うと、なにごともないような小説さえ裏にはらんだ一つの命の重さ、自由の尊さがずっしりとこたえる。
本作とレイナルド・アレナスの映画化された『夜になるまえに』で描かれていた革命政府の圧政の間はちょうど10年。キューバの人々は穏やかでこだわらない性格だと言われているけれど、だとしたらたった10年で圧政に耐えかねた人々が再び描かれたのはなぜか? 政治という深い業にまで思いをはせるような奥行きのある短篇ばかりでした。ラテンアメリカ文学でよく語られるマジック・リアリズム的なことは起こりませんが、貧しさや目の前の欲望で人はいかようにも変わりうることをまざまざと感じられる一冊でした。