uporeke's diary

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鴻巣友季子『カーヴの隅の本棚』(文藝春秋)

カーヴの隅の本棚

カーヴの隅の本棚

嵐が丘』の新訳やクッツェーの翻訳などで海外文学愛好家なら知らぬ者はいない鴻巣友季子さんの本とワインをめぐるエッセイ集、という売り込みだろうが、いわゆる「エッセイスト」の文章からイメージするものとは全く異なる。ワインが好きな人はもちろんのこと、言葉に関わる人はおしなべて手に取るべき一冊。


ワインを呑んだら酔っぱらって本なんて読めない、と放り投げてしまうようなわたしでも、作品やワインがフラッシュバックする瞬間というのは体験している。「余韻の成分」ではそのときの感動を脳に信号として送ることができたらワイン自体が不要になるのではという提案に、余韻の持つかすかなゆらめきやふんわりと包まれるような印象はできないだろうとし、「これは「感動」を一局面としてとりだすだけであって、長きにわたる余韻までは再生できない。ワインを味わうというのは、長い、ときには何年何十年にもわたる長い余韻につきあうということなのだ」とし、小説のおもしろさの余韻もこれと同じと説く。


嵐が丘』にとどまらない新訳ブームについて。大名人と呼ばれるようなワインの造り手の子供たちが決して同じではないにしても父の色を残したワインを作り続けていることに触れ、「そういう変容と淘汰の末、やがてジャイエのワインは真に古典化する。いつかは異本のなかから、それ自身が神となるものも出てくるのではないか。文学において幾たびも繰り返されたように」と締めくくる。今は評価が定まらずとも読者が読み続ける限り、作品の質や評価は変化していくものだとしている。本書で取り上げられている20世紀以前の古典の新訳もおもしろいとは思うのだが、個人的にはむしろ20世紀以降の東欧・ロシア(ソ連)、ラテンアメリカ、スペインなどの文学の中心地から隔たった場所で独自の生育を遂げた文学をもう一度評価し、百花繚乱となった世界文学こそ復興してもらいたいものだと思っている。


閑話休題。新訳の難しさ、おもしろさについてたくさん語られており、150ページもない薄い本なのに大変読み応えがあります。文学にとどまらない縦横無尽な読書遍歴と、なかなか高級なワインの経験とが結びついて、著者の心のさざ波のひとつひとつが丁寧に語られており、まるで自分の傍らで語りかけてくれる声が聞こえてくるかのよう。梨木香歩や須賀淳子の文章から著者の静かな足音を聞き取れる方にはぜひおすすめの一冊。翻訳者は名文家という方程式がまた一つ証明されました。