uporeke's diary

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アドルフォ・ビオイ=カサーレス『モレルの発明』

モレルの発明 (叢書 アンデスの風)

モレルの発明 (叢書 アンデスの風)

サーレスは10代でボルヘスに認められて、決して大きくはないアルゼンチン文壇で大きな影響力を与えるようになる人物。しかし、二人の合作『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』はわたしがミステリに興味がないせいもあるが、人物設定に魅力がない上にひねりにひねりすぎて失敗したような印象しか残っていません。それでカサーレスにはしばらく興味をなくしていたのですが、確か2年くらい前におもしろいと評判を聞いた本書を手に取り、興奮で本を置くこともできずに一気読みしたはずなのに、今年の春にあらすじを聞かれてさっぱり覚えていないという恥辱を味わい、今回改めて再読した次第。負け惜しみではなく、本は再読することに意義があると思いますが、不幸にして読書速度が遅いわたしには再読できる本は限られている。しかし、本書についてはまちがいなく再読が必要であり、読めば読むほどにモレル(実は某SFに関係した名前らしいのですが、わたしはそっちを読んでいない)の発明がいかなるものであり、手記形式で書かれる本文の裏に隠された物語内の事実が明かされていくのです。

主人公はとある罪を逃れるために島に流れ着いた。無人島のはずのその島では、潮が満ちるとどこからともなく人々が現れて島でのバケーションを楽しむ。観察者となった主人公はその中の一人、フォスティーヌに懸想するが、どれだけ彼女にアプローチしてもなぜか反応がないのだった。

本書はおそらくまず最初にラテンアメリカ文学としてくくられると思うが、その前にSF以外の何ものでもなく、SFファンは必読。それもジーン・ウルフSFマガジン収録作「アメリカの七夜」を気にいるような人はこれを見逃す手はない。そのほかにも信頼できない語り手の裏を読み解くのが好きな人にはおすすめできます。あとがきでも触れられている話ですが、冒頭の一文から既に謎をはらんでいる。

今日、この島に信じられぬことが起きたのである。早くも夏になっていた。

そもそも突如として夏になるのも不思議なのだが、この事件のすぐ後で「昨夜は、このひとけのない島で眠った百度目の夜だった」という書き記している時間の関係性が分からない。ちょっとタネを明かすと潮の満ち引きを原因としてこの島に不思議なことが起こるのだが、百度目の夜までに潮の満ち引きは幾度となくあったはずなのに、なぜそこまで主人公はこの現象を体験していない(少なくとも文章上では)のかは読み終えた今でも謎。そして夏になった島で主人公は不思議な人々に出会い、まるでドラえもん石ころぼうしを被っているかのように、他の人々には反応されずに彼らの間をとまどいつつ観察し続ける。やがて不思議な現状の原因を突き止めてからは新たな野望に乗り出す。それはロマンチックでありながら、空虚で少し滑稽でもある。それでも孤独よりも幻想の中で生きることを選んだ彼のことは忘れられない。いや、この前まで忘れていたんですが。

もうちょっと突き詰めて書いてみる。大いにネタバレあり。

P.36。そもそも潮の満ち引きは定期的であるはずなのに、ここでは予定より1日前に潮が満ちて主人公は溺れかける羽目になった。P.128においてモレルは仲間達に「月の引力による潮の干満が規則的であり、しかも気象条件による高潮のおかげで、ほぼ間断なく動力を供給することが可能となる。」と宣言しています。間断なく、つまり定期的にではなく常態として映像が再生し続けられるという意味か。だとしたら、主人公が島で観察している潮の満ち引きでホログラムが再生される時とされない時があるのは、モレルの想定とは異なるということか。

モレルの発明とはホログラムのように映像を映し出すだけでなく、主人公がとりちがえているように3次元の人間を映し出すものだったというのはP.152で確定します。主人公はモレルの発明した再生装置がある部屋を見つけますが、再生が開始されると壊したはずの壁が復元されて閉じこめられてしまう。ここでモレルが発明した映像が何で構成されているのかはスーパーナチュラルな謎ですが、ひとつの解釈としてモレルの発明が時間を再構築するとしたらどうでしょう。モレルの発明で撮影された主人公はやがて爪がはがれ髪が抜け落ち肉体は崩壊していくように書かれています(p.174)。そして島にはモレルが撮影した1週間が撮影され、部外者はその時間に立ち入ることができないとしたら、モレルの発明が鎮座している部屋がどんなに鉄の棒でたたいても壊れないことの裏付けとなるように思えます。つまり一種のタイムトラベル装置だというのがわたしの見解。たぶんに最近読んだ「涼宮ハルヒ」シリーズに影響されています。