uporeke's diary

苔を見ています http://www.uporeke.com/book/

グレッグ・イーガン『TAP』(河出書房新社)

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)

久しくSFから離れていたわたしにも読みやすい短編集で、いろいろな知識を総動員してもさっぱり分からない長編の勢いを期待するとやや方向性がちがうところがあるかも。しかし、イーガンのおもしろさの決定的なポイントである「予想もしていなかった視点」は健在。

「視覚」は脳に銃弾を受けた男が意識を取り戻すと自分の肉体を病室の天井あたりから見ていた、というもの。遙か昔に読んだ吉本隆明の『共同幻想論』でも瀕死の状態で手術を受けた患者がなぜか天井あたりから自分が手術されている様子を眺めていたという症例が報告されており、決まって天井付近に留まるという話があって印象に残っている。本作でも、主人公の視点は屋外に出ても決して天井辺りの高さから離れることはないところが同じでおもしろい。自分を本来の意味で客観視する奇妙さがいい。

どれもおもしろかったけど、とりわけ印象に残るのは他の短編よりも長めの「銀炎」と「TAP」。「銀炎」はウイルスに感染すると爆発的に増えるコラーゲンによって皮膚がどんどん剥がれ落ちるというもの。不謹慎だが患者が隔離されているゲル状のベッドは素敵だと思った。

ガラス張りの密閉された部屋で横になっていた。チューブが酸素や水、電解質、栄養素を男性に送っている。――同時に、抗生物質、解熱剤、免疫抑制剤、鎮痛剤も。ベッドはなく、マットレスもない。患者は透明な高分子ゲルに埋まっていた。ゲルは浮力のある半固体の一種で、床ずれを抑え、かつてこの男性の皮膚だったものから漏れだしてくる血やリンパ液を除去している。

わたしが望んでいた睡眠施設はこれだと思った。抗生物質や解熱剤なんかはいらないから、これに入って息が出来るようになっていたらきっとよく眠れる。もしかすると無重量下でもものすごくよく眠れるのかしら。

「TAP」は脳にインプラントする言語で、現在使われている発語する言語よりもずっと明確に考えていることを伝えられるというもの。TAPをインプラントした詩人が何者かに殺害された謎を追うというミステリ仕掛けの作品。オチはちょっとずっこけたけど、わたしたちが普段使っている言葉の限界性を突破する言語ができるという発想はおもしろい。よく言った言わないで問題になることがありますが、そういう日常のささやかなディスコミュニケーションがいろいろ解消されたら世界の生産性がぐっと上がりそう。わたしたちが普段体験している小説や音楽などを使わない芸術やゲームなどができると作中では言われており、長編だったらその辺りの説明が多くてそれはそれで別のおもしろさがありそう、と思ったことです。他にもホラーというよりはサスペンス寄りの作品もあったりしてバラエティ豊かな短編集。イーガンのちょっと違った面が見られてお得です。