uporeke's diary

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森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

人んちで麻雀の抜け番に読んだものの、アルコールと眠さで印象が残っていないため、文庫化を機に読み直してみました。一読して感じたのが、デビュー作『太陽の塔』からずいぶん遠くなったな、ということ。あの頃は相手の女性の顔すらろくに見えなかったのに、本作では後頭部を見つめるだけの関係がとうとう一緒に空を飛ぶなんて。

春夏秋冬別に4つの短編が収められており、どの短編にもきちんとカタルシスがあり、徐々に主人公の先輩と彼女が近づいていくのが甘酸っぱい。春は若者に解禁された酒、夏は京都の古本市、秋は誰もが何かしらの思い出を持っている文化祭、そして冬は風邪をめぐって個性の固まりのような人たちを巻き添えに、二人の物語がかわいく甘酸っぱく進んでいくのです。もうこの甘酸っぱい物語を胸の内でふくらませてにやにやするには年を取りすぎたわたしは、と反省することしきりであります。手を握るまでに文庫本一冊をはるかに超えるような紆余曲折を経るなんてまどろっこしいこと、大人にはやってるファンタジーも時間もないんだよ。でも作者にはいつまでもこの甘酸っぱさをキープし続けていただきたいと切に願うばかりであります。

Wikipediaを見てちょっと違和感を覚えたのが本作を含め森見登美彦氏がマジック・リアリズムの作家としてカテゴライズされていること。個人的にマジック・リアリズムというのは文明化された社会から隔絶された組織で発生する未知なる現象ととらえているため、本作での浮遊などはファンタジーとしてとらえたい(もっとも芥川の『河童』もマジック・リアリズムとして紹介されるくらいだから、天狗が出てくる時点でマジック・リアリズム認定していいのかもしれませんが)。『百年の孤独』が世に出たとき西欧ではあまりにも破天荒な物語に驚いたけれども、地元コロンビアや南米では「あるある!」と親しみ深い物語として読まれたということから、実はマジック・リアリズムというのは外部から認定されるべきものなのかもしれません。というわけでわたしは日本人作家の作品にマジック・リアリズムというカテゴライズは合わないんではないか、と思っております。