uporeke's diary

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キアラン・カーソン『シャムロック・ティー』(東京創元社)

シャムロック・ティー (海外文学セレクション)

シャムロック・ティー (海外文学セレクション)

ウィリアム・トレヴァーからフランク・オコナーとなぜかアイルランドの作家を読む機会が増えている。どの作家もアイルランド出身とは知らずに手に取ったものばかりなのがおもしろい。今回読んだキアラン・カーソンも開いてみて初めてアイルランドの作家と知る。そしてどの作品も生涯にわたって再読していきたいと思うほど当たりばかりだ。アイルランドの音楽はチーフタンズなどいろいろ聞いたけど、これからはアイルランドの小説もわたしにとって重要なものになりつつある。

語り手のカーソン(作家と同じ名前であるところが意味深)は重度の聖人オタクでことあるごとに「今日は聖○○の祝日」と言い出す小生意気な小僧。仲の良いいとこのベレニスと、物語のタイトルとなっているシャムロックをパイプで吸うと非現実的な感覚にとらわれ、壁に掛けてあったファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の結婚」の絵に入り込んでしまう。やがて二人は覚醒すると部屋から離れた貯水池のそばで見つかり、この事件をきっかけに寄宿舎に入ることとなる。そこでカーソンはベルギーの町で絵を毎日飽きずに見て過ごしてきたメーテルリンクに出会い、やがて自分たちの運命を知ることとなる。

あらすじだけだとさっぱりしたものだが、小説には聖人と植物をはじめとして数々の蘊蓄が重厚に重ねられ、3ページ単位で進んでいく章のほとんどが歴史的な背景だけで埋められることもしばしば。しかし、歴史的な物語と登場人物たちの語りが合致して濃密な世界が出来ていくのは実に楽しい。わたしはファン・エイクの絵どころか、カソリックの聖人なんてさっぱり知らないので、iPodSafariを使っていちいち検索しながら読み進めました。そうしたらほとんどの箇所で歴史的な人物や事件についてはほとんどがそのまま使われているのを知って驚く。途中ウィトゲンシュタインが庭師として出てくるのだが、これも学校教師を追われて庭師だった事実がある。

また、植物の描写や聖人の物語に多くのページが割かれているのだが、読んでいるものが現前するかのようななまめかしさは、単にその描写だけでなく、まさに色の彩をイメージさせるタイトルと、折り重ねられた歴史のふくらみがなしうるもの。歴史的事実と自然描写をうまく編み込んでいって奥行きのある物語に仕立て上げた作者の力には脱帽するのみであります。桜庭一樹が『星の時計のLiddel』と同じような衝撃を受けたと後書きで書いていますが、なるほど確かに。どこまでも底の知れない井戸をのぞいているような、シャムロック・ティーを飲んでいるように時間を忘れさせてくれる小説でした。

追記:聖人オタクの少年は日本でやると坊主オタクになるのだろうか、と某仏教関連雑誌編集者にたずねたところ、「坊主じゃなくて神様だろう」と言われました。なるほど、親鸞日蓮のマニアよりは八百万の神々を暦と関連づけるオタクの方が存在しそうではあります。