uporeke's diary

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カルロス・フエンテス『アルテミオ・クルスの死』(新潮社)

アルテミオ・クルスの死 (新潮・現代世界の文学)

アルテミオ・クルスの死 (新潮・現代世界の文学)

いまではガルシア=マルケスばかりが取り上げられるが、新潮社は1970年代から90年代にかけてラテンアメリカ文学のハードカバーを出していた時期があった。ラテンアメリカに限らず、「新潮・現代世界の文学」というシリーズとしてブローティガンやアップダイク、クレジオなど錚々たる面子が揃う叢書だった。『百年の孤独』の水色の表紙は今でもよく見かけるが、このフエンテスリョサの『緑の家』、プイグ(ピュイグ)『未刊の書』などはなかなか見かけなくなってしまった。そんな本を某古本の人に譲ってもらって読み始めるもなかなか手強い。3度の挫折を経て読み通した先には、マッチョな男の孤独と苦悩がありました。

臨終の床にあるアルテミオ・クルスは、死の間際になって自らの過去を回想する。貧しい家庭に生まれ育ち、メキシコの内戦を経て一躍成金となるも、満たされない孤独が常につきまとう。それらが一人称・二人称・三人称を使って時間をランダムにさかのぼっていくところが本書の特徴。特に二人称で語られるクルスへの言葉とも読者への言葉ともとれる箇所は、厳しい現実をまざまざと眼前に突きつけられる。

人はなにかを選びとったりはできない、いや、選びとるべきではないのだ、あの日の自分もやはり選んだのではなかった、お前はそう考えるだろう、お前は成り行きにまかせた、あの日お前は、自分が作り出したものではないふたつのモラルのうちのどちらを選ぶか選択を迫られたが、それについてはお前に責任はなかった、自分が作り出したものでもないものを選びとるのにどうして責任をとらなくてはならないのだ、お前は身をよじり大声でわめいている自分の肉体から離れて、山刀を突き立てられたように胃が激しく痛み涙がこぼれるがその山刀から離れて、お前は夢見るだろう、自分自身が作り出した人生の指針を夢見るだろう、けれども、世界がその機会を与えてくれない、それどころか逆に既成の戒律を、相容れない掟をお前に押しつけてくるので、自分の指針を口に出すことはできないだろう、お前は既成の戒律を夢見ることも、考えることも、生きることもできないだろう、


と「。」で区切られない文章が続く。これを神の声ととらえる向きもあるようだが、ここはクルス自身の内的な、冷静な声だと考えて読んだ。表面的には冷静で時に激しい感情をむき出しにするクルスが時間を超えて彼の行いに強く説く声。地平線がどこまでも続くような果てしない大地を背景にした、フエンテスの最高傑作だと思います。岩波文庫から出ている『フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇』では器用さが表に立ち、「チャック・モール」の土着ホラーから「老いぼれグリンゴ」系の枯れた短編まで幅広い作風が見られますが、あれはまだイントロダクションに過ぎない。梅雨時のじめじめを吹き飛ばすにはこんなごつい物語もあり。